【ビックカメラ高崎】退団選手:1人(OF/28)イビネディオン・絵里香シャディー(1年)新人選手:2人(IF/17)中西舞衣(高松南)(IF/22)北口美海(神戸野田)※退団選手 今年は主力選手は全員残って引退者は1年目のイビちゃんことイビネディオン・絵里香シャディー一人。3試合に代打で出場して3打数0安打だった。結局どういう特徴の選手かわからずじまい。気になっていた選手だっただけに、もう一二年見て見たかった。※新人選手 新人選手は2人の高校生のみ。ということで今年のビックはほぼ昨年と変わらないスタメン選手起用になる。【トヨタ自動車】退団選手:5人(LF/10)小野真希(10年)( C/25)渡邊華月(8年)(2B/ 4)鈴木美加(8年)( P/15)細野了華(6年)(IF/ 6)町田ひかる(2年)新人選手:2人( P/13)田内愛絵里(創志学園)(SS/ 6)黒澤花菜(秩父農工科学→東京富士大)※退団選手 各チーム今年は選手の入れ替えが少なかったのだが、戸田中と並んでトヨタ自動車に大きな動きがあった。 とにかく小野真希が抜けたのが大きい。昨年はキャプテンまで務めた選手で、内外野どこでも守れて長打も打てて小技も得意、なんでもできる選手だったが、それ以上にベンチで一番大きな声を出してチームを引っ張ってくれる選手だった。元東海理化の川戸道友紀さんほどでもないが、あの人間が聞き取れるギリギリの高音で「さぁーいこーっ!!」という声はとにかく一番グランドに響いていた。この小野がいなくなったことが一番の原因だが、春先のトヨタの試合を見ているととにかくトヨタのベンチが静かなのが気になった。渡邊も抜けて元気な選手が減ったこともあるが、おとなしいクールな選手ばかりになってなんかベンチが暗い。これが成績に結びつかないと良いのだが。 【追記】ちょっと書き忘れていたが、実は小野は試合中は声が高いが普段は結構低音ボイス。そして私服でおしゃれすると結構可愛い。ソフトボール関係なかったか(笑) 渡邊華月も日本リーグに一時代を築いた選手。アボットの女房役としての存在感は抜群だったし、打つ方でも実業団入りしてからの成長が著しく首位打者まで獲得した。そして何よりあの決勝トーナメントでの奇跡の優勝決定逆転サヨナラツーラン。あの時の球場を揺るがす地鳴りのような歓声は今まで経験した中では最高の場面だった。 一時代を築いたと言えば鈴木美加も同様。高卒1年目の前半からすでにリーグ戦で活躍し、2年目が始まる時には4番としての育成が始まっていたような逸材で、その期待に応えるように順調に一流選手に成長した。2年目2009年の決勝トーナメントで上野から放った逆転二塁打がもしトヨタの優勝に繋がっていたらもう少し違う結果になっていたとは思うが、それでもその後歴代最高打率を記録するなど実力は存分に発揮してくれた。実は意外と気づいてない人が多いと思うが、よく見ると結構可愛い選手。それに最初のころは平凡なフライを落としたりして、豪快な打撃と裏腹にどことなく愛嬌もあった。やっぱりトヨタのベンチに鈴木美加がいないのは少し寂しい。 実は小野、渡邊、鈴木美が引退したことは、ただ単に戦力的にダウンという以上に大きな意味を持っている。アボットが来日したのが2009年、それ以降の昨年までの7年間は常に決勝トーナメントに進出しているので、10年目の小野と、8年目の鈴木美、渡邊はトヨタにおける「決勝トーナメントに行けなかった時代を知る貴重な世代」ということになる。これが意味するものは実はかなり大きいと思うが、それは別稿で改めて。 細野了華は岐阜女子高時代に日立の山中しほと同期。当時は細野がエースで山中が控えだったが、実業団に来て立場は逆転してしまった。一時は打撃センスを買われて打者転向しかけたこともあったが、それでも6年間、最後まで投手として在籍を貫いた。最後の年のリーグ最終戦が雨天中止の予備節に回った日立戦で、なんとそこで山中と先発で投げ合う最高の機会があった。結果は負け投手で、リーグ戦未勝利に終わってしまったのは残念だったが、頑張ったご褒美に最後にソフトボールの神様が粋なプレゼントをしてくれたように思う。 町田ひかるは守備位置や使われ方的にも早稲田の先輩馬渕朝子の後継者的な選手。1年目に2本塁打を放つなど意外性もある打者で、噂によると今年はどこかに移籍すると聞いたのだが一旦は引退したようだ。※新人選手 新人で気になっていたのが黒澤花菜。昨年の全日本総合で7回1死まで1-3とトヨタを追い詰めた東京富士大の4番で、山根から逆転の2点タイムリーを放ったのがまさにこの選手。その実力や実績ももちろん、秩父農工科学高というソフト界では無名の高校出身なのが気に入った。とにかく今のソフトボール界は選手の進路を握った名門高校、名門大学の指導者がやりたい放題。特にソフト名門と言われる高校の指導者にまともな人間は一人もいない。たまに「名将」なんて書かれているが、笑止千万。そんな中でこうやって無名高から大学を経てでも実業団に上がってくる選手が出てくるのは非常に喜ばしいこと。彼女の成功には大げさだがソフト界の未来もかかっている。【豊田自動織機】退団選手:3人(CF/25)狩野亜由美(13年)( P/12)奥田絵美(2年)( C/)中山瑠美(2年)新人選手:3人( P/18)河澄星菜(東海学園)(SS/25)宮本愛里(三潴)(OF/33)田口美佳(千葉経大附→東京富士大)移籍(復帰)選手:1人(SS/ 3)西山麗(厚木商→日立(13年)→1年間日立でコーチ)※退団選手 個人的に狩野亜由美を強く認識したのは2004年の決勝トーナメント。延長タイブレイカーで相手レオパレスの藤本のバントが一飛となった時、飛び出した二走を刺して併殺を完成させたのだがその時二塁カバーに入っていたのがセンターの狩野だった。1年目の2003年からレギュラーを獲得し打率0.361、2年目の2004年には0.415とアテネ五輪に選ばれてもおかしくなかったほど最初から大活躍した天才選手だったが、その後も怪我もなく順調に活躍を続け、2008年の北京五輪では不動の1番打者として大活躍。日本の金メダルに大きく貢献したことは今さら言うこともないだろう。その後もリーグでも活躍を続け、2007年もこの狩野のホームランと三塁打で優勝を決めているし、2009年に来日したアボットに初失点をつけたのも狩野のホームラン。決勝トーナメントでは上野からの先頭打者弾もあったし、とにかく織機には常に狩野の存在があった。 同時に「こんな不思議な選手もいなかったなあ」と個人的には思う。あれだけの大活躍をし、十分な実績や知名度、栄誉の数々を手に入れながら、実に控えめで目立たない、プレースタイル同様に生き方も実にスマートな選手だった。北京五輪後はきっぱりと日本代表から身を引き、アメリカプロリーグに参戦するという独自の道を切り開いた。上野が監督人事でゴネて一度辞退したように、日本代表で活躍したというあれだけの実績があるとついつい政治的な口出しをしたくなるものだが、狩野は全く我関せず。織機のチーム内でも派閥を作ったり後輩を贔屓したりすることもなく、ただ淡々と自分のプレーに徹し、自分の残りのソフトボール人生の次のステップを追い求めてきた。日本リーグに在籍しながらのNPF参戦も彼女が切り開いた道だが、それに関しても大げさにせず、当たり前のように毎年参戦しごく普通のことのようにして全てをこなしてきた。 ただ一つ苦言と言うか、いやもちろん良いパートナーを見つけて結婚して幸せそうなのは良かったのだが、ソフトを引退したら沖縄の離島を放浪して多良間島あたりの漁師と結婚して移り住んでくれたら良かったのになあと思っていたので、それだけが個人的には少し残念だ(笑) 奥田絵美は将来が嘱望された織機待望の左腕投手。個人的に思っていたのが、ピッチング同様に実は磨けばかなり光りそうなルックスで、数年後には栗田美穂二世のアイドル投手誕生間違いなし!!と期待していたのだが、もう両膝の怪我が重く、これ以上続けると日常生活にも支障を来しかねなかったらしい。バッティングセンスもいいので、じゃあ野手では?とも思ったが、本人の気持ちが既に折れてしまったようだ。本当にもったいない。 中山瑠美はいろいろ他に本人がやりたいことがあったらしくて引退。パンチ力はなかなかのものがあったんだけどね。※新人選手 河澄星菜は地元東海学園出身で投打に実力のある選手。バッティングの方を買われていたようだが、織機に入ってからピッチングがよくなったので当分は投手で育成するだろう。宮本愛里は三潴高に赴任した藤本索子監督が最初に実業団に送り込んだ選手の一人。織機が欲しかった待望の右打ちの大型内野手でまだ眉毛はつながってるが将来性は十分。 田口実佳はトヨタに入った黒澤とともに東京富士大のクリーンナップを打った選手。キレのあるダンスと、コーラを一気飲みしてゲップせずに早口言葉をしゃべるのが特技(笑)※移籍加入選手 西山麗ももう何も言う必要がないくらいの伝説的遊撃手。日本歴代でも最高クラスのグラブさばきだが、その実力はまだまだ健在。ただ一ソフトボールファン的に、やっぱり日立戦でだけは活躍しないで欲しいと思ってしまう(笑)【Honda】退団選手:3人(1B/ 3)沢幡優佳(8年)(3B/ 6)加藤恵理(7年)(OF/19)上原楓(6年)新人選手:3人( C/12)吉田菜々(岡崎学園)( C/27)藤家菜々子(日出)(OF/19)山田静佳(伊奈学園総合→東京女子体育大)※退団選手 今や日本代表にも成長した又吉薫が最初のころは「Hondaの秘密兵器」だったが、この沢幡優佳はそういう意味では常に「Hondaの最終兵器(意訳するとリーサル・ウェポン)」。ちなみにデンソーのリーサル・ウェポンといえば中岡理美で、タイプ的に良く似ている(余談)。 ただ「最終兵器」は結局使わないまま8年間が過ぎてしまった感があるが、じゃあなぜこのリーサル沢幡が(勝手にアダナ付けるなw)兵器として使われないまま8年間もHondaで選手で居続けられたか。その理由が最近個人的にもやっとわかってきた。去年濱中監督がTAP-Bで海外遠征した時にマネージャーで連れて行ったのがこの沢幡。昨年はよく代走で試合にも出ながら、雑用もこなし、スコアラーもしていたように、とにかくよく働いていた。引退した今年も、チームの試合会場ブースでグッズ販売したり受付したり、大きな体に似合わずほんとこまごまとよく働く。話してみると気さくだしいつも笑顔を絶やさないし、「あ~こういう選手だからチームにずっといたんだな~」と、引退した今ようやくわかった。こんなに褒めていいのかってくらいつい褒めてしまったが、別に今度Tシャツ買い行く時に100円まけて、っていうわけじゃないからね(笑) Hondaが入れ替え戦に行くくらいまで低迷していた2009年に入ってきたのが加藤恵理。この2009年はトヨタにアボットが来た年だが、そのトヨタとHondaが最初に戦った鹿児島での加藤のバッティングは強烈過ぎて忘れられない。1番セカンドに入った加藤は、まずは初回にアボットから良い当たりのショートゴロ。しかしここからがアボット圧巻の投球で、続く8人を連続三振。しかし9人目に打席に回ってきた加藤が今度はセンターへホームラン性の大飛球。打線がアボットに手も足も出ずひねられている中、この新人の加藤だけが唯一対等に渡り合っていたのだ。これは凄い選手が入ってきたぞ、と思った最初の期待の割にはその後大成長はしてくれなかったが、しかしチームを形作るピースとして、つねになくてはならない存在だったのは間違いない。真っ黒に日焼けした顔に白い歯がのぞく典型的なソフト選手顔で、結構可愛い顔してたが、その通りちゃんと素敵な伴侶を見つけて寿退団となったようだ。これは言っていいのかどうかわからないが、コーチの永吉さんに「永吉さん、加藤がいなくなったのは痛いですね?」ってある人が聞いたら「あいつはこの婚期を逃したら一生嫁に行けんから仕方ない(笑)」って言ったらしい。あ、酔った勢いで書いてしまった(笑) 上原楓もどちらかというと沢幡タイプの選手だったか。最初は投手として入って、その後は打撃を生かして外野手に転向。色白で一時期見た目が先輩の平林真由子そっくりだったこともある。投打どちらでも結構活躍する選手になるかなと期待してたんだけどね。ただ上原と言えば高崎大会での上原を応援するLet’s Go Hondaを踊る小学生のソフトボーラーの可愛い姿が忘れられない(たぶんYoutubeにアップしてるはず)。あれ見られただけでもHondaに上原がいてくれて良かった^^
※新人選手 さて新人選手は捕手が二人と大卒の外野手が一人。3人ともいかにも最近のHondaが獲得しそうなひと技持ってるか人柄のよさそうな選手ばかり。岡崎学園出身の吉田菜々は、かつての織機の名選手、前川仁美さんが監督として送りだした初めての実業団選手ということになる。【日立】退団選手:3人(1B/12)濱本静代(11年)(CorOF/27)粟倉陽香(5年)( P/21)山口清楓(3年)新人選手:1人( P/14)泉花穂(高松南→早稲田大)※退団選手 ソフトウェア時代から11年間、山田や西山、杉山なんかに隠れていたけど、濱本静代も日立の歴史を代表するような名選手だった。1年目から試合に出て、2、3年目にはDPとして30打席前後と順調に成長。そして4年目の2008年にDPのレギュラーを獲得して規定打席到達、打率0.322、1本塁打、5打点と期待通りにブレイクした。その後は一塁手として攻守で強い日立を支え続けた。北京五輪翌年の2009年には日本代表にも選ばれている。なぜか1年おきに成績の良い年と悪い年が繰り返されたが、濱本が打席に入った時の「いかにも打ちそうな雰囲気」は存在感大きかった。個人的にはトヨタの露久保望美との対戦が印象に残っている。 粟倉陽香も濱本タイプのスケールの大きな左打者だった。強豪日立で高卒2年目ですでにDPのレギュラーをほぼ獲得し、規定打席近くに立って0.283の2本塁打、3年目には捕手のレギュラーを獲得して開幕からマスクをかぶり打率0.358の3本塁打。これは凄い捕手になるぞーと思っていた矢先の2014年、捕手に清原奈侑が入ったことでレギュラーを明け渡し、この年は結局1試合も出場することがなかった。どうやら怪我の影響があったようだが、翌2015年には打率0.342に2本塁打と見事に復活してきただけに、さすがに昨年限りでの引退には驚いた、というか、それこそ日本代表でも十分通用する実力だっただけに残念でならない。いやほんと、粟倉の引退はもったいなさすぎる…。 もう一人の退団選手山口清楓は、昨年の途中でいなくなって今年は年始から伊予銀行に帯同。さすがにそういう経緯では簡単に移籍を認めるわけにいかないので、今年は1年間下働きに徹し、来年満を持しての復帰となる。※新人選手 今年の新人選手は一人。周知の通り泉礼花の妹の泉花穂投手。実は泉花が早稲田時代に先輩で靜甲に入った「泉夏帆」という選手がいた。同姓同音なので呼び方を替えないといけないのだが、この泉花穂がどう呼ばれていたか、聞いたけど忘れちまった(笑)。いや覚えているんだけど今酔っぱらってるから。ちなみに先輩の泉夏帆は「ピン子」だったらしい。ベタ過ぎやろ(笑)【デンソー】退団選手:4人(RF/16)永吉理恵(4+6年)( P/25)重藤恵理佳(6年→シオノギ製薬に移籍)( P/54)ジョーリン・ヘンダーソン(2年)(3B/19)兼平真咲(0.2年)新人選手:1人(SS/14)釼持祐衣(藤枝順心→日本ウェルネス)※退団選手 デンソーの、というか、これはもう「日本ソフトボール界の」引退選手として扱ってもいいのが永吉理恵。レオパレスでは3年間の下積みがあり、この名選手がその間ほとんどリーグに出場できなかった。しかしレオパレスの魂でもあった名選手の渡邊潤子が引退すると、翌年そのライトのポジションにこの永吉がそのまま入り、そしていきなり打率4割を超す大飛躍の1年となった。(余談だが、自分が毎年末恒例にしている「飛躍した選手」特集のきっかけはこの永吉の飛躍にある)。 レオパレスが突然の廃部後、多くの選手が行き先に苦労するなか、この永吉はそれこそ多くのチームが獲得を熱望したと聞く。ただそこでデンソーを選んで入ったのは、今思うと最良の選択だったと思う。デンソー移籍後はチームの一員として活躍したのはもちろん、日本代表としても常に欠かせない選手であった。そんな凄い選手でありながら、この選手もソフトボール選手の良いところを全て併せ持ったような選手で、どんな人やどんなファンにでも優しくしっかりと挨拶し気さくに接していた選手。サングラスをかけてランニングをしていても、近くにくると必ずサングラスを外してニコっと笑って頭を下げてくれた。なんか今思い出してもほんと全ての面で良い選手だったな~。 兼平真咲は1年目の1節からレギュラーとして使われるほど期待されていた選手だが、最初のタイムリーエラーが響いたのかな?なぜか前半の途中でいなくなってしまった。ただソフトボールは止めずに東京女子体育大に進んだようなので一安心。シオノギを辞めて東京女子体大に進んでそれからデンソーに来た山根の逆で、今度は兼平が卒業後にシオノギに行ったりして(笑) さてそのシオノギと言えば、そこに移籍するのがキャプテンまで勤めていた重藤恵理佳。これはまさかまさかの移籍で、デンソーにとってはあまりにも痛すぎる移籍。キャプテンが、しかもライバルチームへの移籍だから「認めない」という選択肢もあったが、実はデンソーは昔戸田中のキャプテンしていた今泉早智をその翌年に移籍で獲得したことがあるから、これだけは文句言えない(笑)※新人選手 さて今年の新人の銀猫的大ニュースはこの釼持祐衣デンソー入団、ですよ。 とにかく出身がウェルネスですよ?ウェルネス。いったいウェルネスからデンソーに入る選手が出るなんて、夢の100連敗に向けて突っ走っていた最初の時代を知っているひとからみたら誰が想像できますか???(笑) いや~、これはもう事件ですよ、編集長。 ただやっぱりね、入っただけじゃあ何にもならない。レギュラーを取って活躍して、決勝トーナメントにも出て、それどころか日本代表も狙ってほしい。とにかく頑張れ釼持。とことんしがみつくのだ!
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