※年末恒例の「飛躍した選手」がとうとう越年してしまいました。しかし2014年は過去最高というくらい大きく飛躍した選手が続出した年でした。毎年☆印を1~3個で飛躍度を評価しているのですが、今年のは5人は全員「☆3つ」で間違いないでしょう!☆☆☆江口未来子(外野手~東海学園高→デンソー,6年目)<年:2009→2010→2011→2012→2013→2014>守備機会: 9→ 0→ 1→15→18→21
打席: 7→ 7→19→35→25→60
安打: 1→ 2→ 5→ 7→ 2→19
打点: 0→ 0→ 1→ 5→ 1→11
盗塁: 0→ 0→ 0→ 1→ 0→15(リーグ2位)長打: 0→ 0→ 3→ 1→ 0→ 4
打率: 0.143→0.333→0.278→0.250→0.087→0.388(リーグ7位) 紆余曲折を経て、とにかく苦労して苦労して悩んで努力して、ようやくリーグを代表する選手の位置にたどり着いた、そんな選手がこのデンソーの江口未来子だ。 とにかく1年目の印象があまりにも強烈だった。第6節の八代大会、デンソーとは宿舎が同じで、たまたま夜にコンビニに行ったときにこの江口と今はマネージャーの安永ゆりさんがいたのだが、なんとまあ色が黒と白の極端な二人なのか!と…、って強烈なのはそんな印象ではない(笑)やり直し(どっちが黒で、とかも言わない)。 とにかく1年目の印象があまりにも強烈だったのだ。練習試合などではこれが高卒1年目の選手かというような豪快な打撃で、ファンの間では「凄い打者になるなあ」と話題になっていたもの。 そんな将来が非常に楽しみだった江口だったのだが、2年目だったろうか、足を骨折するという大怪我をしてしまい、長期間松葉杖生活を強いられた。そしてその大怪我をきっかけに続く5年間の長い低迷期間に突入してしまう。もちろんその間の年も試合には出てそこそこは打ってはいたが、1年目の強烈な印象を知るものとしては全く物足りないものだった。そして徐々に江口の印象が薄れていき、とうとう岡村珠希選手との違いが分からなくなってしまう(笑) そしてもう一つ彼女をさらに低迷に陥れたのがチーム全体としての打撃フォームの大幅な改造。打球が飛ぶ昨今の現状を考慮してか、とにかく打球を上げて遠くに飛ばすようにという大きくアッパースイングをする打撃フォームにチーム全体が変わった。もちろん上手く行った選手も多かったのだが、最も悪い方に出たのがこの江口だった。 特にひどかったのが5年目の2013年で、見ていても痛々しいほど極端にバットに当たらないアッパースイングで、「こんなことしてたら今年でクビ切られるぞ…」なんていう噂も出ていたくらい。打撃成績も真っ逆さまで、結局この年は25打席に立つも計2安打の打率0.087と、目を覆うばかりの惨状だった。 そして迎えた2014年。いったい何がどう変わって、何を掴んだのだろうか。 シーズン前は、「あ~江口がクビになってなくて良かった」くらいの感覚で期待もしていなかったのだが、開幕と同時に打ち始めると前半5節を終えた時点で打率、盗塁ともにリーグトップ。最終的には打率7位、盗塁2位で終えたが、大怪我と度重なるスランプを乗り越えてきた1年目からの歩みを上辺だけだが知っているものとしては、とうとう江口が開花したかと感慨深いとても嬉しい好成績だった。 7月の国体東海地区予選、苦戦した愛知県代表にあって最も活躍し勝利に貢献したのが江口だった。しかし10月の長崎国体本戦には、7月に国際試合で不在だった選手などが出場し、江口はメンバーに選ばれなかった。そう、リーグ6年目にして大飛躍を遂げた江口未来子だったが、この国体選考に見られるようにまだまだ本物の信頼を勝ち得ていなかったのも事実。2015年は再びタイトルを争うくらいの活躍をして、誰からも認められる本物の選手になってほしい。<2009年、1年目の第6節八代大会伊予銀行戦で。この試合は7回にレフトの守備についた><2010年、2年目3月の熊野オープンでの打席><2013年、絶不調だった5年目の第3節刈谷大会戸田中央総合病院戦で。いかにも窮屈な打撃をしているのがわかる><2014年、開花したこの年、7月の国体東海地区予選でも活躍>☆☆☆丸本里佳(一塁手~京都西山高→太陽誘電,3年目)<年:2012→2013→2014>打席:11→56→77
安打: 5→11→26(リーグ4位)打点: 1→ 2→ 9
二塁打: 1→ 0→ 6(リーグ2位)三塁打: 0→ 0→ 4(リーグ1位)本塁打: 0→ 0→ 2
打率:(0.5)→0.212→0.382(リーグ8位) 丸本里佳を最初に認識したのは彼女が1年目の4月のトヨタカップ。もちろん3月の熊野オープンでも見てはいたのだがそれほど強い印象には残っていなかった。 ただトヨタカップで認識したと言っても、あのシャープな打撃に魅了されたのではない。開幕前の大事なオープン戦で、いきなり膝を怪我して動けなくなり、まさに膝を抱えて泣いていたのを見たからだった。思えばセカンドのレギュラーの石濱真実もそうだったが、だいたい誘電の若手は泣いてるのを見て初めて認識するパターンが多い(笑) その怪我の影響やまだベテラン勢が残っていたのもあり、1年目は計11打席と少なかったが、その少ないチャンスのなかで5安打を放って打率5割と、強打者の片鱗はすでに見せていたのだ。そして名手佐野志津香の引退により空いたファーストのレギュラーを掴んだ2年目の2013年、規定打席に到達はしたが打率は下がって0.212。不調でスタメンを外れたり、青木千春の加入でファーストの守備位置を明け渡すことも幾度かあった。 やや2年目の壁にぶつかってしまった丸本だったが、3年目の2014年、早々にして持っている実力が見事に開花した。シーズンを終わってみると2本塁打を含む12本の長打を放ち打率0.382は全体の8位で安打数は4位。三塁打4本はリーグトップでOPSも9位と、高卒3年目にして早くもリーグを代表する打者に成長したのだ。当然のことながら、ファーストとしてのベストナインにも輝いた。 個人的に感じる丸本の打撃の良さを表せば「シンプル」の一言に尽きる。とにかく全ての無駄を削ぎ落としたようなシンプルな打撃フォームで、全く隙のない構えから最短距離でバットがボールにぶつかり、左右にライナー性の鋭い打球を連発する。高校の先輩の長﨑望未(トヨタ)や太陽誘電の先輩の河野美里が、一見無駄な動きのかたまりみたいな独自の打撃フォームで世界的にもトップクラスの結果を残せるのは彼女たちが天才打者である所以だが、丸本はその正反対でとにかく理にかなった実にシンプルでスマートな打撃を見せてくれる。 2014年後半戦の織機戦でリケッツからサヨナラのエンドランを決めたように、小技もできる器用な面もある好打者の丸本。大久保美紗が引退した今後、将来の日本代表のレギュラーファースト候補の一番手としても今後の丸本には大いに注目したい。 丸本が背負う誘電の「25番」と言えば、あの伝説の強打者にして伝説のビデオカメラウーマンでもある廣瀬芽が付けていた背番号。その25番に相応しい選手に育っていくのは間違いないだろう。<2012年、3月の熊野オープンで代走で出場。もしかしたら太陽誘電選手としての初出場だったのかも><同じく2012年の熊野オープンでの打席><2014年、第6節ペヤング戦で左中間にタイムリー二塁打を放つ>☆☆☆森山遥菜(一塁手~佐賀女子高→Honda,3年目)<年:2012→2013→2014>守備機会:0→76→179
打席:20→40→78
安打:0→6→19
打点:0→10→17(リーグ7位)本塁打:0→1→7(リーグ3位、日本人1位)打率:0.00→0.171→0.279
久々に表れた日本人の大砲がこのHondaの森山遥菜だ。 2012年の開幕節京都大会、1年目にしてすでにスタメン6番DPに名を連ねていたのだから、チームがいかにこの森山に期待していたのかがよくわかる。 しかしこの頃はただ思いっきり引っ張りまくり、三塁ベンチに弾丸ライナーのファールを放って相手チーム(時には自チーム)を恐怖に陥れるだけが取り柄(?)の打者でしかなかった(笑)。 とにかく1年目は、体格は素晴らしいがそれ以上に粗さだけが目立つ打者だった。その証拠に20打席をもらいながらも7三振で安打はゼロ。タイミングを崩されることも多くいかにも未熟な打者だった。翌2013年も出番は増えたが前半戦は長打ゼロと、1年目の続きみたいなものだった。 そんな森山にとって一つのキッカケとなったのがリーグ初本塁打を放った2013年第7節の織機戦ではなかったろうか。 この試合、会場は大雨でも中止にならないことで有名な大田原市美原球場。雨で全くコントロールの効かなくなって四球連発の織機の豪腕投手リケッツから、4点差を追いかけるスリーランホームランを放ったのだ。その同じ回には又吉薫にも満塁弾が飛び出して長打攻勢で織機に逆転勝利をあげたのだからこの森山の一発は実に大きかった。結局2013年のホームランはこの1本だけだったが、2年目のステップとしても、そして「Hondaに森山あり」を印象づけるにしても、十分大きな1本だっただろう。 そして迎えた飛躍の3年目2014年、とうとう大砲が目覚め、終わってみれば19安打と確実性も増し、本塁打も全体3位で日本人ではトップの7本を放った。 2014年の開幕前のチーム紹介でも書いたのだが、とにかく「4番打者」としてここまで据わりの良い4番らしい4番打者はHonda史上ではおそらく初めてで、Hondaに止まらず、順調に成長してくれればこのまま代表の4番にも据えたいくらいの見栄えのいい打者だ。 とにかくそれくらいの大きな可能性を秘めた選手であるのは間違いない。そんな大飛躍の森山だったが、ファーストのベストナインは同じ学年のライバル丸本里佳に奪われたのは悔しかっただろう。2015年をさらなる飛躍の1年にして、再びハイレベルなベストナイン争いを見せて欲しい。<2012年、1年目の開幕節マクセル戦で思いっきり引っ張る森山。打球が味方ベンチを襲う(笑)><2012年、第10節の大鵬薬品の最終戦に代打で出場><2014年、第6節の織機戦でリケッツからレフトに完璧なホームランを放つ>☆☆☆山崎あずさ(遊撃手~金光桐蔭高→伊予銀行,4年目)<年:2011→2012→2013→2014>安打:(2部)→(2部)→(2部)→15
本塁打:(2部)→(2部)→(2部)→5(リーグ6位)
OPS:(2部)→(2部)→(2部)→1.07(リーグ10位) 2011年、大阪の金光桐蔭から当時2部リーグの伊予銀行に入部。その年はショートに打率0.563で首位打者の中森菜摘が、セカンドにも宇佐美彩がレギュラーとしていたことから、山崎あずさはリーグ戦の試合にはほとんど出場できなかった。 2年目の2012年には中森の移籍に伴い一つ空いた内野のレギュラーポジションを掴んでプチブレイク。宇佐美との兼ね合いで守備位置はいろいろだったが、全14試合中13試合に出場し打率0.355でリーグ18位、ホームランも1本放った。 しかし飛躍の年と思われた2013年、宇佐美の引退に伴いレギュラーショートに固定はされたが、逆に打撃は低迷し、おもに打順も9番で打率も上位30傑にすら入らなかった(もしかしたら怪我とかもあったのかも知れないが)。 そんな山崎だったが、2014年はチームの1部昇格とともにようやく持っていた実力を開花、飛躍の1年となった。 打率0.288は全体では33位だがチームでは1位で、初の1部の舞台で計15本のヒットを放った。打点12も大黒柱の矢野輝美を1点上回ってチームトップで、何よりリーグ6位の5本塁打が見事だった。その長打力で、打率は低いながらもOPS(打者の能力を総合的に測る指数の一つ)では1.07と、リーグ全体の10位に入る活躍だった。2014年の成績はリーグを代表する打者のものと言っても過言ではないだろう。 そして迎える2015年、1部で2年目となる今年は、新体制の秋元理紗監督の下でキャプテンとしてチームを引っ張る立場になる。ショートとしても少し多すぎたリーグワースト2位の8失策を半分くらいに減らす努力をしつつも、思い切りのいい打撃はそのまま維持し、今年こそはチームを上位進出に導いて行って欲しい。<2011年、1年目の山崎は背中の写真しか残っていいなかった…><2013年、2部第4節大垣大会の靜甲戦でショートで好プレーを見せる><2014年、1部第3節織機戦にて>☆☆☆藤田倭(打者として~佐賀女子高→太陽誘電,6年目)<年:2009→2010→2011→2012→2013→2014>打席:27→19→0→0→0→75
安打:5→3→0→0→0→16
打点:2→1→0→0→0→21(リーグ3位)二塁打:2→0→0→0→0→3
本塁打:0→0→0→0→0→6(リーグ4位)打率:0.185→0.158→-.—→-.—→-.—→0.293
ここ数年で藤田倭が日本を代表する投手になったこと、そして今年は打撃面でも大きな飛躍を遂げ、投打で日本代表レベルの選手になったことはもはや誰しもが知るところだろう。 僕が個人的に評価したいというか感心するのが、藤田の打者としての歩み、というか山路監督の打者藤田の育て方だ。 投打に非凡なものがあったが、チーム事情や投手としても未熟だったことから、1年目、2年目(2009、2010年)は打者としての出場機会も多かった。 確かに打撃に粗さは目立ったが、1年目から2二塁打も放っており、何よりあのパンチ力は魅力で、このまま両方で使っていくのかと思っていたが、3年目以降、山路監督は打者としての起用を完全に断ち切った。 その後の3年間、2011~2013年の間はリーグ戦での打席数はゼロ。思い起こすと、練習試合等でもあまり打席には立っていなかったような気がする。この3年間はリーグでは投手に専念し、3年連続で規定回を大きく超える70回以上に登板。防御率も2011年と2013年には1点台と、投手としての実力を完全に確立させた。 そして満を持して迎えた2014年、打者藤田倭が再び解禁となる。開幕戦でいきなり4年ぶりの打者としての出場で5番に据わると、2三振で迎えた3打席目に決勝点となる特大の2点本塁打をセンターに放って打者起用に応えた。 結局2014年シーズンは前年よりやや防御率は落としたが、それでも投球回数は増えてリーグ最多の103回を投げ最多勝も獲得と、投手としてもしっかり結果は残した。そして打撃の方でも規定打席に達し、リーグ4位で日本人2位となる6本塁打を放ち、リーグ3位の21打点と素晴らしい結果を残した。 何より2008年以来の決勝トーナメント進出に、エースとして、そして主砲としてチームを導いたのが、今年の藤田にとってタイトル以上の勲章だろう。 日本代表としても欠かせない選手になったことを強く印象づけた2014年の藤田だが、これで天井に到達した選手とはとても思えない。2015年は、打撃面でさらなる飛躍を遂げる1年になるかも知れないと、とても楽しみにしている。<2009年、1年目第7節長野大会織機戦にDPで先発出場。打球の速さに度肝を抜かれたことを記録している><同じ試合にはリリーフ登板。1年目からすでに二刀流だった><2014年、第2節の豊岡大会シオノギ戦で豪快な一発> 2013年以前の「飛躍した選手たち」は以下のとおりです。☆☆☆2013年飛躍した選手☆☆☆尾崎望良(投手,辻→園田学園女子大→太陽誘電)☆☆上原依万里(二塁手&遊撃手,花咲徳栄→戸田中央総合病院)☆☆洲鎌夏子(三塁手,知念→IPU環太平洋大学→豊田自動織機)☆長平雅(DP,京都西山→シオノギ製薬)☆☆☆2012年飛躍した選手☆☆☆中岡理美(DP,デンソー)☆☆☆山中しほ(投手,日立)☆☆☆石濱真実(二塁手,太陽誘電)☆☆佐藤このみ(DP,大鵬薬品)☆又吉薫(遊撃手,Honda)☆唐橋亜由佳(三塁手,シオノギ製薬)☆☆☆2011年飛躍した選手☆☆☆栗田美穂(豊田自動織機)☆☆山下絢(ルネサスエレクトロニクス高崎)☆☆馬渕朝子(トヨタ自動車)☆☆倉成真子(デンソー)☆金尾和美(Honda)☆萩藤寛子(靜甲)☆☆☆2010年飛躍した選手(野手)☆☆☆中山亜希子(大鵬薬品)☆☆☆紺野智美(シオノギ製薬)☆☆渡辺瞳(戸田中央総合病院)☆佐藤みなみ(太陽誘電)☆鮫島憂子(日立ソフトウェア)☆菅野愛(豊田自動織機)☆岡本由香(太陽誘電)☆☆☆2010年飛躍した選手(投手)☆☆栗田美穂(豊田自動織機)☆金尾和美(Honda)☆☆☆2009年飛躍した選手☆☆☆林佑季(日立ソフトウェア)☆☆☆鈴木美加(トヨタ自動車)☆☆蔭山遥香(レオパレス21)☆☆田中梢子(レオパレス21)☆☆大橋美奈(Honda)☆野木あや(デンソー)☆東美紀(戸田中央総合病院)☆☆☆2008年飛躍した選手☆☆☆永吉理恵(レオパレス21)☆☆溝江香澄(日立ソフトウェア)☆☆濱本静代(日立ソフトウェア)☆酒井かおり(豊田自動織機)☆今泉早智(戸田中央総合病院)
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